おたより__

学校だより(2024年6月号)

信頼される学校に



校長 宮川 高広
 10年以上前のことになりますが、3.11東日本大震災後、計10回ほどボランティアとして被災地の復旧作業に携わり、その行く先々で様々なことを見聞しました。例えば、ボランティアの2回目(2011.7)に「学校の先生は(頭を指さして)こうだから、マニュアル通りにしか動こうとしない・・・」、3回目(2011.8)に「学校の対応が悪い!住民が避難して来たのに『ここは海岸から2Kmも離れているから津波が来ない!』と・・・」など、学校の対応を非難する声も残念ながら聴きました。一方、8回目(2012.9)に活動した場所は雄勝町、活動の前にどんなところか調べたところ「“熱血”校長、被災地で“奇跡”起こす 東日本大震災の被災地である宮城県の小さな街に『1000人に一人の名校長』と言われた・・・・」の記事を目にしました。被災後、「たくましく生きよ」を教育目標に掲げ、津波で校舎を失いながらも、伝統の和太鼓演奏を廃タイヤとラップを活用し復活させ・・・ドイツ講演やプロ野球開幕戦のオープニングで演奏するまでに・・・生徒だけでなく地域をも盛り立てたその復興の様子を想像するだけで勇気をもらいました。(雄勝町は硯石の産地であり、作業現場にあった硯の廃棄部材を、許可を得て持ち帰り、今でも校長室の机の上に置いています。)                                              



雄勝町の硯石

 生徒たちは今、授業への取組をはじめ、修学旅行先での取組姿勢など、様々な立場の方からお褒めの言葉をいただいています(一方、「挨拶がなかったよ」「休日の自転車の乗り方が・・・」など、ご指摘を受けることもあります)。生徒はがんばっています!私にとって本当に「自慢の生徒」です。5月に行われた学校後援会理事会でのご指摘を受け、“学校(教職員)の対応で、地域との信頼関係を崩すことがあってはならない”という思いを新たに硯石を見つめています。